いろんな人のいろんな物語:6日目

前日寝たのが1時過ぎたったけど、目覚まし鳴る前に5時起き。
日本に帰ってもこの生活リズムを維持できれば最高。


■早朝
<0:食事>
何したかあまり覚えてないのだけど、本は読まずに雑務ばっかりやってた記憶。
朝ごはんはスタバのフルーツセット。

ぶどうやブルーベリーなど
■午前〜午後
<1:ホームレス体験>
Faithful Foolsが実施している「street retreat」に参加。
これは、街を歩きながら教会で配られる炊き出しを食べたり、そこにいる人達と話をすることでホームレスの視点に立って街や人々を眺めるプログラム。

交差点で立ち止まっていたら「コカインあるよ!」と麻薬を売ってる人に声かけられた。
「今なら5ドル!」と営業されたがスルーしつつ街の様子を尋ねる。

炊き出しはGlide Memorial ChurchSt. Anthony's Foundationの両方に顔出した。
自分とホームレスの人たちは何が違うんだろう
と考えながら参加したのだけど、振り返って感じたのは俺と違って「彼らにはこの町に仲間いる」ってこと。

炊き出しをもらいに並んでいる間、俺の前や後ろに並んでいる人達は楽しそうに仲間と話をしていた(ように見えた)。

列の横を通る知り合いがいたら「Hey Bob! お前もこっちこいよ」と声かけて雑談スタート。もし、彼らが今の状況を本当に抜け出したいのだとすれば可能な限りの支援があるとよい。

が、その一方で「家があって仕事もある人」(つまり今回の「street retreat」参加者)の常識や感覚はどう扱えばいいのだろうかと感じた。

先進国が新興国に対して、望んでいないのに「自国文化は素晴らしい」と新興国には違和感のあるライフスタイルを押し付ける話も思い出して。

もちろん「別に家も仕事もなくていい」と思っているわけじゃない。

  • 既にコミュニティに溶け込んでいる。
  • 馬鹿な話を楽しめる仲間もいる。
  • 最高に贅沢な暮らしができるわけではないけど、自分たちは満足している。

もし、そういったものを犠牲にしなきゃ仕事や家が手に入らないとしたら、一体彼らはどうするだろうか。って考えた。

経済的には非合理でも、現状を維持する方が感情的には合理的??
まあ、それでもなお仕事と家は必要だと思うが。

3時にプログラムが終わり、Faithful Foolsの事務所へ。
プログラム参加中に感じたことをシェア。
ピアノやギターがあったので数人で適当に弾いたりもした。
最後に記念撮影。


■夕方
<2:耐え難いことは何か?>
universal givingの創業者から起業と自分の物語についての話。

起業する際「自分は一体どんな人間なのか」「どんな人生を送ってきたのか」を意識することは極めて重要になってくる。
自分の物語を考える第一歩は「自分が耐え難いことは何か?」の掘り下げ。

つまり社会的怒り
言い換えるなら

  • イライラすること
  • 許せないこと
  • 腹が立つ事
  • ありえないと思うこと
など。「今日はついてない」といった個人的な感情ではなく、対象は公的なもの。
貧困とか環境破壊とか。

耐え難い気持ちがあるってことは、理想とするビジョンを持っている、ということでもある。
どういう社会を築きたいのかちょっと見えづらかったら、世の中を見渡して「これはないわー」と思えるものを見つけるのも手。