信念を貫き通すことの重要性:『方法序説ほか』 デカルト著 vol.4

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方法序説ほか』 デカルト著、野田又夫他訳、中央公論新社、2001年。


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方法序説ほか (中公クラシックス)
成果を出して成功する人と、そうでない人の違い。

きっとたくさんあると思いますが、今回は『信念』という観点から考えてみたいと思います。

普段、信念という言葉はこんな風に使われます。

「あの人は、強い信念を持っている」
「彼には信念がない」

前者は力強い人のイメージがあり、
後者はなんだか優柔不断なイメージがしますね。
それでは、信念とはそもそも何なのでしょうか?

あえて簡単に言うとしたら「マイルールを信じ切る力」のことです。

人間は、誰しも「○○な時は□□した方がいい」といった独自のマイルールを持っています。

例えば、
「忙しい時は、お金がかかっても出前で食事を済ませる方がいい」
「自分に余裕がなくても、親友が困っているときは手を差し伸べるべきだ」
といった具合です。

内容の違いはあれ、誰しもマイルールをもっています。

しかし、人間には弱い部分もあります。
状況によっては「自分が正しい」と思っていることなのに、
その場に流されて実践できないことだってあるでしょう。

簡単に流される人は、信念が弱く、
どんな状況であってもマイルールを貫き通せる人は信念が強いと言えます。

そして、そんな強い信念のもと、世界に名を残した人がいます。
それが今回紹介する本の著者、デカルトです。

デカルトはフランスの哲学者ですが、
彼が残した『私は考える、ゆえに私はある』(p.41)
という言葉はとても有名です。

彼はどのようにしてこの結論に辿り着いたのでしょうか。

詳しい内容は本書に書かれてあるのですが、
結論に辿り着くために欠かせなかったものがあります。
それこそが、「デカルトの持つ強い信念」でした。

彼は、今回の結論を導く前に、
いくつかのマイルールを設定していました。

そのうちの一つは
「一度決心したことを、途中で安易に放棄しない」
といったものです。

原文を紹介します。

『私の第二の格率は、
私の行動において、できるかぎりしっかりした、
またきっぱりした態度をとることであり、
いかに疑わしい意見にでも、
いったんそれをとると決心した場合は、
それがきわめて確実なものである場合と同様に、
変わらぬ態度で、それに従いつづけること、であった』(pp31-32)


もしかしたら「読みにくい」
と思われた人がいるかもしれません。

そうです、はっきり言ってこの本は読みにくいのです。

上記の文章はまだ理解できると思いますが、
全体を通して考えるとやはり読みにくい。

なんせ原著は今から300年以上前に、フランス人が書いた本です。
今の私たちの社会とは、時代も違えば、文化も言語も違います。
理解しにくい箇所があっても自然なことです。

しかし、逆に考えれば、
それほど違う環境で生まれた本が、
現在に残っているということができます。

そうすると、
「人間にとって普遍的な何かがこの本には含まれている」
と考えてもいいのではないでしょうか。

僕は、この本から「信念を貫き通すことの重要性」を読み取りました。
きっと色々な読み方ができると思います。

哲学の専門家に言わせると「それは違う!」なんて言われるかもしれません。
もちろん、著者が主張していることを誤解してしまう可能性だってあります。

でも、まずは哲学に触れるとっかかりとして、
本を読みながら自分なりの世界観を深めていくことをおすすめします。

そのためにも、
おいしいところをつまみ食いしようとする読み方でなく、
時間をかけて一文一文をじっくり考える読む方でこの本を読むといいでしょう。

あきらめないで取り組めば、
「なるほど!」と思える発見があるはずです。


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『あやふやな基礎の上には堅固な建物が建てられるうはずはない』(p.11)

『私が人々の行動の観察から得た最大の利益はといえば、
多くのことがわれわれにとってはきわめて奇矯で滑稽に思われるにもかかわらず、
やはりほかの国々の人によって一般に受け入れられ是認されているのを見て、
私が先例と習慣とによってのみそうと思いこんだにすぎぬ事がらを、
あまりに固く信ずべきではない、と知ったことであった』(p.13)

『われわれはすべて一人前の人間であるまえに子供であったのであり、
長い間われわれの自然的欲望と教師とに支配されねばならかったが、
これら二つのものはしばしば互いに反対しあい、
それらのいずれも、いつでも最善のものを
われわれに選ばせたとはいえないのであるから、
われわれの判断は、われわれが生まれたはじめから
われわれの理性の完全な仕様ができてただ理性によってのみ導かれてきたと
かりに考えてみた場合ほどには、
純粋であり確実であることは、ほとんど不可能なのである』(p.16)

『私は、ただひとり闇の中を歩む者のようにゆっくりと行こう、
すべてに最新の注意をはらおう、と決心した』(p.21)

『注意深く速断と偏見とを避けること』(p.23)

『私の第二の格率は、
私の行動において、できるかぎりしっかりした、
またきっぱりした態度をとることであり、
いかに疑わしい意見にでも、
いったんそれをとると決心した場合は、
それがきわめて確実なものである場合と同様に、
変わらぬ態度で、それに従いつづけること、であった』(pp31-32)

『自分が吟味している命題の虚偽あるいは不確実性を、
弱い推測によってではなく明晰な確実な推理によって、
暴露しようとつとめたゆえに、どんなに疑わしい命題に出会っても、
そこからつねに、十分に確実ななんらかの結論をとりだすことができた』(p.37)

『「私は考える、ゆえに私はある」Je pense, donc je suis. 』(p.41)


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方法序説ほか』 デカルト著、野田又夫他訳、中央公論新社、2001年。



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◆目次◆

方法序説
哲学の原理
世界論


方法序説ほか (中公クラシックス)