人間は単なる機械か?それ以上の何かか?『利己的な遺伝子』ドーキンス著 学術書評vol.9

――――――――――――――――――――――――――――――

利己的な遺伝子』 リチャード・ドーキンス著、日高敏隆他訳、紀伊國屋書店、2006年。


Amazon.co.jpで購入する

楽天ブックスで購入する

――――――――――――――――――――――――――――――


利己的な遺伝子 <増補新装版>
こんにちは、柏野尊徳です。

かなり前の話になりますが、
2000年の流行語大賞トップ10に「ジコチュー」という言葉がありました。
ジコチューは、自分のことしか考えないで行動する自己中心的な人を意味します。

この言葉が流行ったのは今から10年前ですが、
自己中心的な人は2000年よりも前からいるし、
2010年になった今もいるでしょう。

人によっては、
「身近にひどい自己中心的な人がいる。
他の人達もいつも困っている」
なんて場合があるかもしれません。

それでは、もし仮に身の回りの人達が「全て」自己中心的な人だったらどうなるでしょうか。
きっと、毎日の生活や仕事がとんでもなく嫌になるはずです。
すぐに人間不信になってしまいますよね。

同様に、自分がいつも自己中心的に振舞っていると、
あっという間に周囲から信用されなくなります。

◆他人優先?自分優先?

このように何かとジコチューには問題があります。
ただ、だからといって常に他人優先で行動するのも現実的ではありません。

理想だけを言うなら、
「なるべく、自分の為にも相手のためにもなる行動をすること」
になるはずです。

しかし、毎日・毎回・誰に対してもそうするのは凄く難しい。
現実的には「時に利己的、時に利他的」なんだと思います。
バランスが大事ということですね。

まあ、「それはそれで面倒だ」と思い、
「もし何も問題がないなら、いつも利己的に行動したい!」
と感じる人だっているかもしれません。

実は、問題があるかどうかは別として、
「常に利己的に振舞う存在」について書かれた本があります。

それが今日紹介する『利己的な遺伝子』です。
この本ではこのようなことが書かれています。

『この本の主張するところは、われわれおよびその他あらゆる動物が
遺伝子によって創りだされた機械にほかならないというものである』(p.3)

『遺伝子レベルでは、利他主義は悪であり、利己主義が善である』(p.52)

つまり、私たちは遺伝子から生まれた機械のような存在で、
私たちをつくった遺伝子はジコチューだ、ということです。

もちろん、これは著者独自の比喩表現です。
実際にはもっと込み入った表現が必要な生物学を、
専門知識がない人でも理解できるよう配慮した結果の記述です。

この本の醍醐味はまさにこの比喩表現にあります。
比喩をふんだんに利用し、
まるでSF小説のように遺伝子や生きものの行動について説明しています。

ただ、著者独自の比喩と、あまりに衝撃的なタイトルも手伝って
『遺伝子で全てが決まる』
『人間は利己的な生き物だ』
と人々に誤解を与えた一面があります。
それはこの本が社会に与えた悪影響なのかもしれません。

また、
比喩があるからといって全部すらすら読めるわけでもありません。
本は全部で600ページ弱。
文字数を単純計算すると、通常のビジネス書の4~5冊分になります。
それなりに時間も必要です。

当然、この本を読んで学校の成績や営業成績が上がることは期待できません。
今抱えている悩みが解決するわけでもない。
今日や明日すぐ役に立つノウハウなど、どこにもありません。

この本を読んでも、いいことなんて何もない。
もしかしたらそう思うかもしれません。

でも、確実に約束できることがあります。
それは『世界の見方』が一つ増えるということです。

賛否両論が起こった著書ですが、
それでもやはり名著は名著。

繰り返しますが、自分の視野を広げるためには最適な一冊です。
じっくりと著者独特の比喩表現を楽しみながら、
生命の不思議に触れてみてはいかがでしょうか。

――――――――――――――――――――
▼ 学問の扉を開くチェックポイント ▼
――――――――――――――――――――

『この本の主張するところは、われわれおよびその他あらゆる動物が
遺伝子によって創りだされた機械にほかならないというものである』(p.3)

◆この本における利他的、利己的の定義(pp.6-7)
利他的:自分を犠牲にして他の幸せを増やすこと
利己的:他を犠牲にして自分の幸せを増やすこと

<個体の利己的な事例>
『(南極の皇帝)ペンギンたちは、アザラシに食べられる危険があるため、
水際に経って飛び込むのをためらっているのがよく見られる。
彼らのうち1羽が飛びこみさえすれば、
残りのペンギンたちはアザラシがいるかどうかを知ることができる。
当然だれもが自分がモルモットにはなりたくはないので、
全員がただひたすら待っている。
そしてときどき互いに押し合って、
だれかを水中に突き落とそうとさえするのである』(p.8)

<個体の利他的な事例>
『働きバチの針を刺す行動は、蜜泥棒に対するきわめて効果的な防御である。
しかし刺すハチたちは神風特攻隊なのだ。指すという行為で、
生命の維持に必要な内臓がふつうは体外にもぎとられ、
そのハチはその後まもなく死んでしまう。
そのハチの自殺的行為がコロニーの生存に必要な食物の貯えを守ったかもしれないが、
そのハチ自身はその利益にはありつけない』(pp.8-9)

『この本で私は、遺伝子の利己性と私がよんでいる基本法則によって、
個体の利己主義と個体の利他主義がいかに説明されるかを示そうと思う』(p.10)

『私は、淘汰の、したがって自己利益の基本単位が、種でも、集団でも、厳密には
個体でもないことを論じるつもりである。それは遺伝の単位、遺伝子である』(p.16)

『遺伝子レベルでは、利他主義は悪であり、利己主義が善である』(p.52)

『そもそも遺伝子の特性とは何なのだろうか。
自己複製子だということがその答えである。(中略)
すべての生物は、自己複製をおこなう実態の生存率の差にもとづいて進化する。(中略)
自己複製をおこなう実体としてのわれわれの惑星に勢力を張ったのが、
たまたま、遺伝子、つまりDNA分子だったというわけだ』(pp.295-296)

『おそらくある自己複製子は、科学的手段を講じるか、あるいは身のまわりに
タンパク質の物理的な壁をもうけるかして、身をまもる術を編み出した。(中略)
生き残った自己複製子は、
自分が住む存在機械(survival machine)を築いたものたちであった』(pp.27-28)

『彼らはわれわれを、体と心を生み出した。そして彼らの維持ということこそ、
われわれの存在の最終的論拠なのだ。
彼らはかの自己複製子として長い道のりを歩んできた。
今や彼らは遺伝子という名で呼ばれており、
われわれは彼らの生存機械なのである』(p.28)

『人間には、意識的な先見能力という一つの独自な特性がある。
利己的存在たる遺伝子に先見能力はない。
彼らは意識をもたない盲目の自己複製子なのである。

われわれがたとえ暗いほうの側面に目を向けて、
個々の人間は基本的に利己的な存在なのだと仮定したとしても、
われわれの意識的な先見能力-想像力を駆使して将来の自体を先取りする能力-には、
盲目の自己複製子たちの引きおこす最悪の利己的暴挙から、
われわれを救いだす能力がある』(p.310)

『われわれは遺伝子機械として組み立てられ(中略)てきた。
しかしわれわれには創造者にはむかう力がある。
この地上で、唯一われわれだけが、
利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである』(p.311)

――――――――――――――――――――――――――――――

利己的な遺伝子』 リチャード・ドーキンス著、日高敏隆他訳、紀伊國屋書店、2006年。


Amazon.co.jpで購入する

楽天ブックスで購入する

――――――――――――――――――――――――――――――



◆目次◆
1:人はなぜいるのか
2:自己複製子
3:不滅のコイル
4:遺伝子機械
5:攻撃―安定性と利己的機械
6:遺伝子道
7:家族計画
8:世代間の争い
9:雄と雌の争い
10:ぼくの背中を掻いておくれ、お返しに背中をふみつけてやろう
11:ミーム―新登場の自己複製子
12:気のいい奴が一番になる
13:遺伝子の長い腕


利己的な遺伝子 <増補新装版>